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今、何故、ペット葬なの?

飼い主様のお気持ちがわかるから・・・ただそれだけなのです。

私どもは何か特別な事ができる会社ではありません。
ただ、ペットを失う、悲しみ・辛さをどの同業者より実感してる会社です。

だから、飼い主様のご希望をちゃんと聞ける会社であり、理解できる会社です。


Cocoa 享年1歳 すべての始まりはこの仔の死からでした・・・

【コラム】浦安市に最高の賛辞を送りたい!

 浦安市がペットの火葬をペット火葬として行うことにしたんですね!
 流石はディズニーランドの街ですね!行政も国際標準???
 日本の法律では、悲しい事に動物の死骸は一般廃棄物・・・
 先進諸国では最低の扱いなんですね!
 けれど、国の法律がそうなのですから、地方行政としては、法に則り取り扱うしかないのです。もしも、法を超えて行政サービスを行おうとすれば
それは負担を地方行政が負わなければなりません。余程の潤沢な財政でなければとても出来ることではありません。
 かつて、松戸市が進歩的な行政を行って話題になった時代がありましたが、それでも、ペット死骸は確か、廃棄物だったかと思います。

 このようにペットをペットとして扱っている行政や、保健所が全国に数百有ると聞いた事があります。
 おざなりの「動物愛護法」などどうでも良いので、このようにもっとメンタルな部分に着目した動物愛護に国をあげて取り組んで欲しいですね。

 わが社の一任合同火葬の値段は、正直赤字です。施設代も、施設維持費も、当然人件費も出ません!
 それでも、その値段にしているのは、行政に委託した場合のペットをゴミとして扱った「ゴミ焼却」の値段に近づけたかったからです。
 各行政機関によって異なりますが、およそ、「ゴミ焼却」値段の約倍ぐらいだろうと思います。

 ペットをペットとして扱い、供養の気持ちを込めて火葬を行うことに、心を有る方ならその費用をご負担くださると考えるからです。

 考えてもみてください。行政が巨大ゴミ焼却炉で、他のゴミと一緒にペットを処分する費用と、一体、一体、専用炉で火葬するのでは、私どもの方が
 はるかに費用がかかります。かなり辛い挑戦なのです。それでも・・・命の尊さを訴えることが私ども務めなのです。

 私達人間は、動物や、植物を殺さなければ自分達の命を守る事ができません。
 だから、その事を否定してはいけない。その代わりにちゃんと奪った命に感謝する事を学ばなければいけない。
 動物も、植物もすべて大切な命なのですから・・・

 もう30年以上前の事ですが、アメリカで捕鯨禁止推進団体の集会で、牛2頭分の肉が振舞われたと言う馬鹿げた話しを聞いた事があります。
 鯨が駄目で牛は良い。そんな誤った価値観が蔓延しています。

 鯨だって、牛だって、道端の雑草だって、同じ重みを持った一つの大切な命だって事をちゃんと国が指導すべきなのに・・・

 かつて私は釣りという魚を殺す趣味を始めて、命の大切さ、自然の大切さを知りました。

 悪戯に快楽を求めるのではなく、必要な分だけの命を奪い、感謝を忘れない事!!

 考えてみてください。ペットショップで売れ残ったペットの行く末を・・・ちょっと恐怖を感じませんか???

 だから、せめて、奇跡のような確率で出会った命を大切にしてあげたい。
 それは生態系の頂点にある、私達人間の責任なのではないでしょうか?

 自分が毎日食べているものの本当の姿を知らない事を笑い話にしてはいけない。そんな事を面白おかしく笑い話にしているマスコミも間違っている。

 浦安市の試みは小さな一歩かもしれない。けれど、それは人として、国としてとっても大切な偉大な一歩だと思う・・・
 世界に誇れる数少ない街、浦安市に乾杯!
【コラム】どっちもどっち・・・???

 いろんなご縁が有って、ペット火葬を始める事になったのですが、いざ始めるにあたって、インターネットでいろいろ検索してみました。
凄いですね!それ程、歴史の有る業種でも無いのに所謂、全国ネットワークを持つような大手業者さんが存在しており、リーダーシップを
発揮しちゃったりしてるんですね。
 業界の適正化と称して、業界団体を作ろうとしている様はかつて、私どもの本業である人間の葬祭業でも有ったことで、結局の
ところ「利権争い」のように思えて仕方がありません。・・・それが本当にユーザー様の為になれば良いのですが、どんな業界でも
「業界団体」などと言うものが、ユーザーにとって有益だった事を私は知りません。
 どうか、人間の葬祭業界のようにおかしくなってしまわないようにと、ただただ願うばかりです。

 また、昨年、「悪徳ペット葬祭業者が摘発された」との話題が、どこのペット葬祭業者さんのHPで採り上げられていますが、
昨年
の暮れまでまったく興味の無かった世界なので、私はこの事実を知りません。

 インターネットで知り得た情報を整理すると、「HPには3万ぐらいと書いて有ったのに、いざ火葬が終了したら、20万円以上請求
された」とか、「半ば、強制的にご遺体を持ち帰られ、追跡調査をしたら、役所に持ち込み処分していた」と言った事件が数件有った
ようです。

 急成長するペット業界の歪なのでしょうか?お金の匂いを嗅ぎ付けて、心無い人たちが群がってきているのでしょう・・・なんか悲し
いですね。なんとか、そんな心無い人たちは排除したいです。

 この業界のみならず、今、日本の経済ではこのような犯罪が後を絶たないですね。
 日本の職業観と言うものが根本的に崩壊してしまっているのではないか?と、思うことが有ります。

 自分が社会の中で、どのような役割を担い、どんな使命感を持って仕事をするのかもっと考える必要があるのではないでしょうか?

 仕事をする事で頂戴するお金は、結果であって、本来の目的であってはいけないと思います。
 社会の構成員として社会の為に果たすべき自分の使命を果たす事が目的であって、利己的なお金儲けの為にする仕事って虚しさを感じます。

 話しを戻して、ペット火葬業界を調べていて驚いたのは、大手も含めて自社では仕事をしていない業者がどうも多そうだと言う事です。
 (皆さんもくれぐれも注意してくださいね!)
 ただ、HPなどで宣伝をして仕事が来たら下請け(?)に出すだけで、口銭をはねる所謂、ブローカーのような会社がいっぱいあるような
のです。これは本当に驚きです。どうして、こんな業態になってしまったのでしょうか?不思議でなりません。

 昨年問題になったと言う悪徳業者と言うのは、一応、自社で火葬車(火葬施設)を持ち、ご遺族の元へ伺い仕事をしているわけで・・・
後の事が「ボッタクリ」だった事は絶対に許せない事にせよ、電話だけで右から左へ受け流しているだけで利益を得ている業者さんって、その
存在自体が、地道に実務を行っている業者さん達が薄利に甘んじなければならない原因となっているわけで、問題の悪徳業者と五十歩百歩
どっちもどっちなんじゃないの?・・・と、思ってしまいました。
 もしも、実務は下請け業者が行う事を明示せず、自社に施工設備も持たず、施工能力も無いのに、自社が「斡旋業者」である事を隠していた
としたら、これって詐欺ですよね・・・
 ところが、自社で仕事を獲得する能力の無い零細ペット葬儀社にとっては、マージンを抜かれる事を覚悟でそう言ったブローカー企業の
傘下に泣く泣く入るしか無いようなんですね。

 どうせ業界団体を作るのであれば、「自社に施工能力がある事!」これを大前提にしなければ、業界の健全化は絶対に有り得ないですね。

 人間の葬祭業・石材業・仏具店もそうですが、だいたい経営手腕のある業者って物凄く儲けちゃってるんです。だからテレビコマーシャル
で芸能人なんか使っちゃったりして派手に宣伝したりしてますよね。
 東京の有名な高層ビルに本社を置くある業者さんは、こんなご時世に社員旅行が全員でハワイとか???この話しを聞いた時、私は・・・
 私どもの会社は日本では数少ない民間企業(宗教法人を除く)として霊園も経営している会社なんですが、不謹慎な話しですが、思わず
一昨年ヒットしたあの歌「私のお墓の前で〜♪」が頭の中で流れていました。

 かつて日本には素晴らしい習慣や神事と言ったものがたくさん有りました。「針供養」などが良い例で、万物に対する報恩感謝の気持ち
を日本人は確かに持っていたのです。

 また、或いは漁師町などでは、「豊漁祭」などの神事をとても重んじています。名前は「豊漁祭」ですが、母なる海に感謝し、安全祈願と
奪った命に対する供養の意味があるのです。

 私達は、漁師さんの仕事によって、美味しい魚を食べることが出来ます。それは、私達に健康と幸福を与えてくれる社会の中で確かな
役割を担った仕事です。そんな漁師さん達でさえ、そうして、報恩感謝の気持ちをちゃんと形にしているのです。
 さてさて、有っても無くても大して社会の中で意味の無い職業を生業とする方々は何に感謝をしているのでしょうか?

 銀行が信販会社を経営するようなヘンテコな(末期的)経済社会で何を言っても虚しいだけですが、日本って何かが壊れてしまっている
のでしょう。銀行が低利でお金を貸してくれれば、信販会社で高利のお金を借りる人なんて居ないのに・・・。なのに、その信販会社から
利益を得てるのが銀行なんですから・・・それで一体どれだけの国民の命が奪われているのかと思うと悲しくなります。

 ご存知ですか?この国では9年連続3万人の自殺者が居ることを・・・そして、年々、増加している事を・・・

 役人も、政治家も、商売上手な人も、所謂、「強い人」達なんですね。そんな人たちは、「弱いヤツは死んだって仕方ない」って思ってるんです。
彼らの論理では「弱肉強食」は当然であり。弱い者は利用する存在だと思っているんです。
 「格差社会をなんとかしよう」なんて言ってる野党の政治家さんだって、結局は「強い人達」なんですね。弱い人の気持ちなんて全然分かっ
てないなって思います。

 かく言う私もとっても弱い人間で、一昨年、自分の命を維持する精神力を失いかけてしまった時期がありました。そんな時、私を支えて
くれたのが、妻が飼っていたM・ダックスの「Cocoa」なのです。
 私はなんとか命を繋ぎ止める事が出来ましたが、昨年、そのCocoaが突然、2歳の誕生日を迎える事も無く天国に召されてしまいました。
 家族はみんな泣いていました。でも、私は驚くほど無感情でした。非情なのではありません。心が凍りついてしまったのです。
 きっと、同じ経験をされた方なら分かってくださると思います。人って、本当に悲しい時は涙も出てきません。その事実が受け入れられない
のです。泣けるうちはまだまだ乗り越えられるって思うんです。
 それから一体どれくらいの時間が経ったのか、何をしてきたのか、正直なところ明確な記憶が有りません。

 Cocoaは妻のペットでしたから、私はできるだけ接触しないようにしてたんですね。
 今は、犬も長生きになって、15年ぐらいは生きるって言うし、そんなにベタベタしていなくても、これから先、いつでも会えるんだからって思って
いたんです。それがあまりにも突然、あまりにも早く居なくなってしまったものですから、悔やんでも悔やみきれなかったのです。

 冷淡とも思えるくらい事務的にCocoaの葬儀を済ませ、数日のうちにペット屋さん巡りを始めました。
 きっと、家族はなんて冷酷な人と思った事でしょう。でも、実際はCocoaの居ない自分の人生を受け入れられずに居たからなのです。

 その頃、心底信じてしまったある詐欺集団(後で気付いた事ですが・・・)八千代市にあるD社(社長はSK)に騙され、財産も、信頼も何もかも
失って、誰も信じられなくなり、自分の人生の目標さえ見失って、もがいてる時期でしたから、そんな私を見かねてCocoaが背中を押してくれた
ような気がして、それから、がむしゃらに走り続け、この仕事の開業準備を進めてきました。

 今でも、他人とちゃんと接する事ができず、家族も含めて人に会う事に恐怖感が有って、人との接触は仕事上の最低限だけで、それ以外は
会社に寝泊りしながら新しいペット達と暮らしている有り様です。ちゃんと社会復帰できるまではもう少し時間がかかりそうです。

 ペットロス症って言う、最愛のペットを失う事によって引き起こされるうつ病患者が増加し問題になっていると聞きました。
 私の場合はペットロス症以前にもっと精神を病んでいましたから、ペットロスにはならずに済みました。それでも、その気持ちは十分わかり
ます。自分の中の何かが壊れてしまったような空しさ・・・それなのに、社会と言う歯車から逃げ出すことさえできない・・・惨めさ・・・遣り切れ
ない思い・・・

 ペットだけが自分の理解者だと感じてる人は実はとても多いのでがないでしょうか?

 それくらい、飼い主にとってペットとは大切な存在なのです。その気持ちが分かるから、この業界にお金儲けの為に入ってくる人たちを私は
許せないのです。

 だから、私にとっては、その報道された悪徳業者も、ブローカーのような仕事をしてる業者も・・・「どっちも、どっち・・・」
 大手業者さんも、派手な営業する業者さんも、その悪徳業者と、「どっちもどっち・・・」。大して変わらないように思えてなりません。

 だから、不器用に、愚直に・・・悲しみを共有できる者として、この仕事をして行きます。

 本当は、ペットに頼らなくても幸せになれるような社会になる事が一番良い事だと思います。
 でも、まだまだそんな社会になるまでは時間がかかるでしょう。きっと私の人生は間に合わない・・・

 ならば、ペットと一緒に「幸せ探し」をしたって良いじゃないですか・・・

 先進諸国の中で日本が最もペットに対する愛護の意識が低いのだそうです。とても悲しい事です。
 諸外国では、動物愛護の観点から様々な法律によってペットを飼う事に規則を設けています。
 そんな事ひとつをとってみてもこの国の文化レベルの低さを思い知らされてしまいます

 人は、人以外の命を奪わなければ、己の命を維持する事ができません。それは、動物だったり、あるいは植物だって立派な命なのです。
 日本の「いただきます」「ごちそうさま」って言う挨拶は、本来、その命への感謝の言葉だったのに、今では食事を作ってくれた人に対する
気持ちだけになってしまってはいないでしょうか?それは、とんでもない日本人の傲慢で思いあがった考えです。

 人間だって、この地球上の命のたった一種類にしかすぎません。
 気が遠くなるほどの確立で出会えた命に感謝する事・・・そしてその幸せに感謝し、天命を全うする喜び・・・
 ペットの葬儀とは、そんな感謝の気持ちそのものだと思います。

「もう負けないよ!失うもんな〜んも無いから・・・!!
かかってきなさい」(笑)と・・・この子達も申しております_(. . ;)_
「人生!生きてるだけで丸儲け!!」
奇跡のような確率で出会う「命」、そのひとつひとつに感謝して・・・ 
共に生きていくのです。私はこの仔たちに生かされている・・・

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